

ルッキズムとは?
まず、ルッキズムという言葉の意味について説明します。
ルッキズムとは、身体的に魅力的でないと考えられる人々に対する、差別的な言動、行動を指します。
ざっくりいうと、容姿・身体的特徴で他者を判断することです。
身体的な魅力は良いものである、という価値観の中で、身体的に魅力がないものは悪いもの、と結び付けられる風潮がルッキズムであると言えます。


ルッキズムについて考えるきっかけ
筆者がルッキズムについて考えるきっかけとなったニュースを2つ紹介します。
・一重まぶた論争
・最も美しい顔ランキング
一重まぶた論争
一重まぶたより二重まぶたに憧れる。誰もが1度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
以前「一重まぶた論争」という記事が話題になり、人々の注目を集めましたが、この様な見た目の良し悪しによる偏見は、日本でも以前から根強く残っている問題です。
ルッキズム、という言葉が生まれる以前から、一重まぶた論争に代表される様な様々な論争は起こっていましたが、自己肯定感のなさからくるものなのか、見た目を良くする為の努力が半ば強制的にしなければいけないもの、という印象すら受けます。
この論争は、見た目の良し悪しによる偏見からどう生きるか、というテーマを投げかけているとも思える内容です。


最も美しい顔ランキング
テレビのニュースで何度かこのランキングニュースを聞いた人も多いのではないでしょうか。
この「世界で最も美しい顔ランキング100」に異を唱えたのがモデルであり女優の水原希子さんです。
水原さんは、このランキングが、『自分が知らない間にルッキズムの助長に加わっているかもしれないと思うと困る』と警鐘を鳴らしています。
モデルである水原さん自身がこの様な声を発することで、ルッキズムに対する認知が広まり、改めて外見至上主義について考えるきっかけになったのではないでしょうか?
自身の判断基準を他者に押し付けてランキング化することが正しいのか?という議論が起こることは、正常な反応とも言えます。
見た目の特徴による偏見はなくせるのか?
モデルや女優など、「見た目で選ばれる職業」は一定数存在します。それは否定出来ない事実です。
価値観は人によって異なるので、純粋なテストの成績とか、プロのチームの対戦成績によって決められたランキングでない限り、相対的な評価になってしまうことは否めません。
問題は、見た目の特徴によって被害を受けている人間が居るという事実でしょう。綺麗でありたい、カッコよくありたいと思う気持ちはなんら否定されるべきものではありませんが、身体的特徴によってバッシングを浴びたり、非難の対象となる人間が居ていい理由などありません。
こと見た目による人の評価を、絶対的な共通指標として持ち出さないことが大切なのではないでしょうか。


ネットでの誹謗中傷に見るルッキズムの役割
近年、ネットでの誹謗中傷による悲しい事件が起こるなど、SNS内でのリテラシーが問われています。
ルッキズムを意識せず、発言者が特定されないのをいいことに、相手を傷つける趣旨の発言を繰り返す人間が居ることも事実です。
自分が正しいことを言っているつもりでも、受け取る側からすればその総量が許容量を超えた瞬間に、自らの命を絶ってしまうというという選択をする可能性もあります。
その最後の一押しになってしまう可能性も、またあるのです。

まとめ:ルッキズムを学んで外見的特徴論争に終止符を打とう
今回は『ルッキズム』という言葉について解説をしてきました。
会社でも、学校でも、SNSの場でも、共通して言えることは「外見がその人の全てではない」ということです。
テレビや映画など、人に見られる世界で活躍している人達は、見た目が美しい人が多いです。そのことが、外見の良さが人を図る1番強い指標になっていることは否めない事実です。
人間の五感による情報判断の割合では、視覚が87%と圧倒的な割合を誇ります。それ故に、視覚から得られる一次情報のみで他者を判断してしまいがちです。
今回の記事で触れた『ルッキズム』に照らせば、視覚のみの情報に頼らない正しい価値観を持つ助けになるのではないでしょうか?
